私がお坊さんになったのは高校生の時なので、もう25年になります。当時のお葬式と現在のお葬式はだいぶ様変わりしました。
家ではお葬式はしなくなり、会館葬になりました。お食事も仕出しになったり、近所の方々もお手伝いの負担が減りました。家族葬も増え、都市部では直葬も増えつつあると聞きます。
簡素・質素なお葬式?
そんな現代で「お葬式は簡素・質素なものでいい」と声を大にしておっしゃるお坊さんが散見されるようになりました。お考えのことはよくわかりますが、私はとても残念に思います。
私は違う立場です。もちろん無理に華美にしなさいという意味ではありません。ですが、本来のお葬式の意味を考えれば、簡素・質素にするわけでもなく、無理に華美にするものでもないということだと思うのです。
お葬式は見送る人・見送られる人のものだと思います。どちらか片方だけの為のものではありません。大切な方だからこそできる限りのことをして見送りたい。これは誰もが持つ思いではないでしょうか。もちろん、経済的なことがありますので、できる限りのことでいいと思います。
シンプルが正義?
現代はどんどんシンプルに簡素に無駄なものは取り除いていく雰囲気ですが、一見無駄に見えるようなものでも、脈々と受け継がれてきた事柄には一定の意味があるのかもしれません。
先日、ニュースを見ていると『「お経を聞くと…悲しみが癒やされる」免疫力向上効果、東北大チームが確認』というのを発見しました。お坊さんとしても驚きですが、お葬式は見送る人の為でもあると思うのです。
でも、取り除いた方がいいと思うもの
地域によって違うとは思いますが、参列者がお焼香される際にずっと遺族が立ち参列者に礼をされる(立礼)習慣があります。私はしないように推奨していますが、なかなか習慣がなくなりません。
最近思うのですが、私語も厳禁です。本当に腹が立ちます。それはお経が遮られるからではありません。ご遺族の気持ちを考えるとあり得ないと思うからです。
お葬式は見送る人・見送られる人の為
その命の終わりを見届け、通夜やお葬式などある程度時間をかけながらお別れをしていく。見送られる命と、今私が頂いている命、私を支えてくれるたくさんの命、それらの等しく大切な命を考えながら、時を過ごすということ。見送られる命を生き抜かれた方の人生を思いながら、命の繋がりを感じていく。これがお葬式ではないでしょうか。
私はそう思います。