「愛」とは私たちが日常的に使う言葉の一つです。
バレンタインデーやホワイトデー、クリスマスなど私たちが「愛」を伝える行事はたくさんあります。
皆様はどのような意味で「愛」という言葉を使われていますでしょうか。
言葉そのものの意味
「愛」という言葉を大辞泉で引いてみますと、
①親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
②(性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
③ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
④個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
⑤キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。
⑥仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
私たちの使う「愛」
私たちは「愛」という言葉を前述の意味から言えば①から④までのものとして使っているのではないでしょうか。又、キリスト教の方は⑤が「愛」であるとお考えの方もいらっしゃるでしょう。
もともと日本では、古語で「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味したと言われています。その言葉に、英語の「love」やフランス語の「amour」などの意味が入ったと言われます。その際にキリスト教的な概念、ギリシア的な概念、ロマン主義小説の恋愛至上主義での概念が同時に流れ込み、今のような多様な表現の言葉になりました。
仏教的な「愛」
仏教的に「愛」に相当する言葉は「トリシュナー」「カーマ」そして「慈悲」です。
涅槃経に「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」とあるように、「愛」という言葉は迷いやむさぼりの根源となる悪の心のはたらきを言います。これは「トリシュナー」「カーマ」に相当します。
「トリシュナー」は「渇き」で、喉が渇いている時に水が欲しくなるというような衝動的な欲望を指します。
「カーマ」とは「性愛」「愛欲」で、「淫」と表現することもあります。
「愛欲」「愛着」「渇愛」などの熟語はそのような欲望の姿を現した表現とも言えます。「愛」という言葉は前述の意味から言えば⑥の意味になるでしょう。
慈悲
一方、このような「愛」だけではなく、仏教的には「慈悲」の意味も含んでいます。
「慈悲」とは、「仏や菩薩が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと」です。