そもそもお墓は必要かという問題があります。
なぜこれを書こうかと思ったかというと、僧侶が「これからの時代、個別のお墓はいらない」と声高らかにおっしゃっていたということを聞いたからです。その言葉に大変違和感を覚えます。
かといって私はお墓が絶対に必要だとも思っていません。
そもそも自由だからです。
違和感その1「これからの時代」
そもそもお墓を建てる建てないが仏教的に自由であって、時代によってそれが変わることではないと思います。むしろ今までお墓を建てることが当たり前になっていたならば、「これからの時代」というよりも、原点に立ち返るということだと思います。なぜ人は埋葬しようとしたのか。なぜ埋葬した場所に墓石を建てるのか、そこをきちんと考えることが大切だということだと思います。
違和感その2「お墓はいらない」
人や人の苦しみに寄り添っていかなくてはならない宗教家、僧侶として本当に情けなくなります。今お墓を大切に護っておられる方、自分の親や祖父母大切な人たちがお墓を護っている姿を見てこられた方、そのような人が「お墓はいらない」と言われて、「あーそうなんだ」と思われるでしょうか。本当に悲しまれると思います。悲しむ方がおられるかもしれないという配慮を欠いて、自分が思う正論とやらを押しつけているに過ぎません。本当に残念です。繰り返しになりますが、お墓を建てる建てないは自由です。
お墓の意味
お墓の意味とはなんでしょうか。私はこう思います。私たちはいろいろな事を忘れていく。大切なことでもどんどん忘れていく。大切な人を、大切なことを思い出すためには、何かしらのモニュメントが必要なんだと思います。それがお墓です。もしかしたら人によってはそれがお墓ではなく、空であったり、海であったりするかもしれません。思いを馳せる場所が必要なんだと思います。
そして、私たちは大切な亡き方にして差し上げられることは多くありません。お墓を建て、大切な亡き方を偲ぶことは、私たちの癒しでもあります。
何よりも大切なことは、先祖との絆を確認することだと思います。
皆さんもどうぞ、お墓を検討される場合、よくよくお考えになることをお勧めします。子どもの代に、孫の代に迷惑を掛けたくないというお気持ちもわかります。ですが、それならば自分の代だけの為に建てればいいですし、その後の墓じまいなどについてちゃんと決めてあげておけばいいのです。実際にそういう方もおられます。
子ども達に迷惑を掛けたくないからと墓じまいの相談に来られた老夫婦に別れ際に「ちゃんとお子さん達と相談してまた来て下さいね」と伝えました。すると後日「子ども達が見てくれるそうです」と嬉しそうにおっしゃったこともあります。お子さん達はお墓を護るのが当たり前だと考えておられたようです。是非とも家族でよくお話し合いになってください。