最近、お墓やお仏壇に普段造花を供えてもいいですか?という質問を受けるようになりました。
結論から申し上げますと、できれば避けて頂きたいです。
その理由をお話ししていきたいと思います。
お花を供える意味
まずは、お花を供える意味を考えていかなければなりません。
仏教でお花と言えば、「蓮」の花です。蓮は泥水で育ちますが、泥水に染まらず、清らかさと美しさを失わずに咲き誇る姿が、私たちの苦しみの世界においての仏法の姿の象徴であると頂くからです。蓮の花は仏教国のベトナムやスリランカなどでは国を代表する花として大切にされています。日本でも「蓮」に仏教的なイメージを持たれている方も多いことでしょう。
まずは宗派によって花を供えないところもあることも知識として持っておきましょう。それぞれに大切にしている事がありますので、「お花を供えるのが当たり前だ」と決めつけるのは早計です。
さて、そのお花を供える意味ですが、故人・先祖の為であるとか、極楽の姿を私たちが味わうためだとか、各宗派教義上いろいろありますが、私は故人・先祖を偲ぶ為の大切な姿であると思っています。故人の好きだった花、今の季節の花、色々考えながら大切なお仏壇やお墓の前に供えさせて頂くのです。
私の命もさることながら、私を支えて下さるたくさんの命もあります。そのいずれの命も、諸行無常の命を頂かれているということです。今一緒にいられるのが当たり前のことではない。その命の尊さに気づかされるということでもあると思うのです。
大切な命
沖縄に命どぅ宝(ぬちどぅたから)という言葉があります。「命こそ宝」という意味の言葉で、主として沖縄で反戦平和運動のスローガンとしても用いられています。
私たちは普段の生活でどれほど命を意識して生きているでしょうか。私たちは故人・先祖という命の縁の中で生れ育まれた大切な一つの命です。大切な故人の命を思う中で、命について気づきを頂いていくのは大切なことだと思います。
最後に
命を思うのに、生きていないお花を供えることは避けて頂きたいのです。豪華なお花でなくてもいいのです。庭で咲いた花でもいいですし、お花があるときに供えましょう。お花がないときはないでいいのです。